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復活の意味は

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前回の記事で、復活って、何で走れているのに復活・復帰なのか聞かれた。
復活! ツールド・しものせき・エキシビジョン・クリテリウム マスターズ3位
山口県では、盛んに自転車レースや自転車に関するイベントが盛んに行われています。 大変ありがたいことです! 私の参加するレースは山口県だけです!(^^)! じじいは、平地しか走れん(-。-)y-゜゜゜ 2017.5.20にあるツールドしものせ

第3戦でようやく、戻ってこれた気がするけどこの復活の意味について自分でも忘れないうちに書いておきたい。

まだまだ、腰は痛いけど^^;

昨年の暑い8月に

とても暑い土曜日に三角公園に集まったのは

do君と、do君の連れてきたチームのエース。

その年の中国ロードを制したE1選手で、今年はプロ選手となったライダー。

ワタシのようなおっさんが、一緒に走らせて貰えるだけでありがたい話だ。

迎え撃つこちらは、stravaでここら一帯のKOMを制する、時速50キロで突っ走る恐るべき脚力を持つ男、パンさん。

とてつもなく速い男達と走るおっさんは、あろうことか夏風邪が治らず。

ほんの少しの体調不良がこの後の運命を変える。

少しきつい

いつも通り北向きTT平坦区間をワタシが引き始める。

集めた人の責任みたいなものか。

やはり、ベストとはいいがたい体調であることは間違いなかった。

その後も40キロくらいの、いいペースでアタック的なドンばち走りもなく淡々と先頭交代をこなしていく。

ただ、エースの足を後ろから見ていると、40キロで走っているとは思えないほどの軽いギアと物凄く余裕のある走りは見ているだけでわかった。

エースは強かった

それが現実となったのは、エースが引き始めてからだ。

ふたコブらくだ坂で、一つ目を軽く46キロくらいで越えられて、ほんの少し踏まれただけで、足の差と体調の悪さがモロにでてしまった。

二つ目のコブで、ほんのわずか遅れそうになったが、ここを全開で坂を越えるとその後がきついので、下りで踏みこんで追いつくことに。

こんな所で遅れる訳にはいかないのだ。

ダンプカーとの正面衝突か

離合箇所で、対向車にダンプカーが止まっているのが見えた。

三人との差は、5メートル。

下りを全開で踏めば追いつく距離だ。

三人がダンプカー横を追加して、わずかの瞬間。

ダンプカーが道をふさぎながら動き出した。

本能の行動

あっ、と思う刹那もなく左にハンドルを切るしかない。

かわせる隙間は、1mもなかった。

そのまま路面でない所を走りながら、どうなったのかもわからず、宙を舞ったような気がして、強烈に腰からアスファルトにたたきつけられた。

何故か、自転車と身体は離れていて自転車はダンプカーの後ろにいた軽トラックの扉にぶつかったようだ。

猛烈に臀部を打ったようで、激しい痛みに立ち上がることも、息もしばらく出来なかった。

無理矢理立たされた

軽トラと更に後ろにいたトラックの運転手が両脇を抱えて、無理やり起こしてくれて道路わきに自転車と共によけてくれた。

その時点で、無理矢理にでも立つことが出来たので、単なる打撲と思っていた。

三人は、すでにマッハのスピードで通り過ぎており、私がこけた事も知らない。

呼び戻す事も出来ないので、しばらく休憩してから帰ろうと携帯で先に行って下さいメールを打っておいた。

女神の登場

5分ほど、どうしたもんかなあ~と、座っていると、なんと運の良いことか。

知り合いの美人女子トライアスリートが通りかかってくれて、

どうしたんですか?  何かあったんですか?

いや~、ダンプよけたら、ちょっとこけて

わかりました。ちょっとジュース買ってきますね!

 

と、言ってジュースを買って来てくれたので、飲んでから

引いて帰ってくれる??

分かりました。

 

と、いうことで、またがりさえすれば自転車で帰れるだろうという安易な考えで走りだした。

が、またがる痛みと、とにかく最初の一踏みの痛みといったら、すさマジかった。

左はペダルをはめることさえできない。

しばらくは10キロくらいで走って貰っていたのですが、徐々に慣れてなんと馬坂も痛みと戦いながらクリアー。今考えると信じられん。

すぐ復帰出来るかな

最後の平地は、35キロくらいで引いてくれても着いておれたので、先頭交代しようかと思ったくらい。

信号待ちしていると、何故か車のホイールが飛んで来てワタシの後輪にヒット。

ホイールのスポークが2本折れるという。はあ~

足に当らなくて良かったけど。

とりあえず、自転車屋に自転車を預けました。

カミサンの医院に行くと、今レントゲンが壊れているので、市民病院に紹介状を書くから行ってみてと言われて、休日診療を受けることに。

その時点でも、猛烈な痛みと戦いながらも、車も運転出来て、ヨチヨチと歩けていたので打撲だろうと思ってました。レントゲンの結果とMRIを見るまでは。

以外な一言

レントゲン写真を見せてくれて、医者が

これは今日は帰れないですねえ~

はあ~、なんでですか?

この写真を見て下さい。強烈なトンカチみたいなもので撃ち抜かれたように骨盤に穴があいてます。私もこんなの見た事ないです。

ええーっ

しかも、肺に穴があいてますねえ~

はあー、肺に穴が、ええーっ

腰椎も折れてますし、アバラも2本折れてますねえ~。脊椎だったら寝たきりですよ。

えー、でもここまで自転車で帰って来たんですけど

はあー、ようもまあ、走れましたねえ~

 

まあ、見事に打ち抜き^^;

久々の入院生活

かくして、一日がかりの点滴の始まりと共に数年ぶりの入院生活の始まりでした。

一日目こそ、点滴の嵐だったのですが、次の日からは何の治療もなく肺の穴が閉じるのを待つだけ。

骨折はとにかく、日にち薬しかない。痛みは痛み止めしかない。

治療のない患者など、病院にとってはなんの意味もないため、1週間で放り出される。

しかも、循環器内科は通院が一日だけあるけれども、整形外科は通院もいらないと・・?

普通は、リハビリをして骨がついたか、どうかを確認すると思うのですが、負荷はいくらかけても良いと。本当か??

と、いうことでリハビリは自分で行うことに。

リハビリローラー

ちょうど、オリンピックがあった為、これを見ながら2時間のローラーが日課に。

35度の中、4方向から扇風機を当てて、ハツカネズミ運動。

しかし、負荷のないローラーでただ単に、足を回すだけが何の役にも立たないことは、その後の実走によって思い知らされた。

まずは、電チャリで50キロ走ってみたが、腰が猛烈に痛くなった。

次に自転車でロードに出ると、40キロ走るのが精一杯の体力。

まあ、きついこときついこと。

無茶なリハビリをさせる家族

退院して1週間、家でローラーを毎日漕いでいる自分を見て、カミサンが三段峡でも行こうと言い出した。

運転者は、何故か自分。ペットボトルを腰に当てて運転。

着くと、自分のリュックサックの中には2リットルのペットボトルが2本。計4k(・。・)

三段の滝までは、約5キロ。

初めは、普通そうに歩けていた自分も帰りの山越えが始まると腰痛のピークに達して、ついに遅れだす。

流石に、というかようやくリュックサックから解放された。

しかし、よくもまあ6時間くらいだろうか。歩けたもんだ。暑いし。

残雪が

ある程度、症状が落ち着いてきたかなと思っていた年が明けた冬の日。

大雪から3日目。

踏み切を越えて、左にカーブしてふっと見た瞬間、下り坂にはまだ真っ白な雪が。

あっ、言う間にケツから転倒。

大したスピードも出てないので、たいしたことないだろうと思ってました。

一週間後

何故か、一週間もたってから、腰痛で歩く事も困難に。

ここで、始めてリハビリ用のサポーターをすることに。

こんなに、きつい腰痛の痛みは骨折以来で、ここからの復帰のほうがキツカッタ。

寒さも関係あるのか、高校生とぶつかった時の肘も痛くてベンチプレスも出来ない状態。

ギリギリの状態で、迎えた復帰第一戦のきららは、なんとか走れる程度で終わった。

春の訪れと、ともに

そして、春の訪れとと共に、肘の痛みもとれてきて、なんとか土曜日、日曜日も連続して走れるようになってきた。

そして、腰痛も普通のおっさん並の腰痛にはなってきました。

そんなこんなで、なんとか走れるレベルには復活出来たかなと。

今回のケガは、歴代ベスト3にランクされるほどの重症でしたが、走れる喜びに感謝しつつ、これからも走り続けたいと思います。

そう、ロードバイクはやめられない!

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